母校への違和感
先日、3年ぶりに自分の母校(中高一貫校の女子校)を訪ねたのですが、今までに感じたことのない違和感がありました。
なんだろう?この嫌悪感...。
私の母校は100年以上前からある伝統校で、所謂お嬢様校。
校則が厳しく、寄り道、アルバイト、髪にパーマをかけるなどは勿論ダメ。他にも、髪は肩にかかると結ばなければいけない、スカートは膝下で、短いとその場で縫わされる、傘は紺色でなくてはダメ、など様々な規制がありました。
また、友達は皆真面目で、純真な心を持ち、礼儀正しく、質素で慎まやかな子ばかり。
当時の私は、姉が通っている影響もあり、小学校4年の頃から塾に通い、中学受験を乗り越え、晴れて6年間この母校に通いました。
当時はあれだけの校則に対して嫌悪感は抱かず、寧ろ心地よいとさえ思っていました。
束縛されている方が安心するというか、厳しい校則の代償に何かに守られているような、そんな心地よさがありました。
勉強も皆まじめにやっている子ばかりだったので、そんな環境のお陰か、私はそれなりに勉学に励むことができ、友達にも恵まれ、
そんな母校に対して、大好きとまでは言わないが、マイホームのようなそんな印象を持っていました。
でも、先日そんな安心感を求めて久しぶりに母校を訪ねたものの、安心感どころか、モヤモヤした気持ちになったまま家に帰りました。
私の顔を見て、話はするものの、自分なりの意見を聞いてもらえないというか、元々の型に当てはめようとして、その型に外れた道に行こうとしたら、マイナス面ばかり話すというか、自分の生きた道が正しいと言わんばかりにおススメするというか、そんな傲慢ささえ感じたのです。
人と違うことは素晴らしい、人はそれぞれ神から与えられたタレント(才能)をもって生まれてきたのだから、そのタレントに従って生きればいいという教えだったはずなのに。
いつのまにか、そんなタレントを生かせない、皆んな一様で安心安全な道しか許さないというような、排他的な意思ばかりが蔓延しているように思えたのです。
私が通っている大学には色々な人がいて、皆んな外れた道を歩んできたこともあったけれど、その道を進んだからこそ、人間味に溢れたような、そんな人から様々な刺激を貰ったのもあり、一様な生き方で縛られる必要はなく、もっと自由な生き方があるのだと感じた私にとって、母校はただそれぞれの良さがあり、その子自身が選択すべき道を阻害するような、そんな傲慢さを感じたのです。
私の友達の親の話も、子供を縛ることで、じぶんが正しいと思った道に進まなければと、自分の思い通りにさせる、型から外れた人は軽蔑し、自分は尊大であるととうような、そんな偏見と愚かしさに満ち溢れているのです。
良い企業に行くこと、何か資格を持って手に職をつけること、お金持ちの旦那さんを見つけて子供を産むこと
確かに安心安全な道を行くことで、安全であるし他の人からのプライドも満たせるし、それであることに越したことはないかもしれないけれど、だからといってそんな人を、外れた人を排除するようなことはおかしいと思うのです。
だって現代、そんな甘くないもの。
良い企業または公務員に行き、25才で結婚し、子供を産み、仕事も続け...など。
ひと昔前ではまさに幸せなモデルケースとされていたことでも、今と昔では環境が違うし、多様化を認めようとされている今、今は今らしい幸せなあり方があるような気がします。
だから、親の言うことや世間の言うことは話半分で聞いといて、今自分ができること、したいのとを精一杯やることが大事なんではないかと、そんな風に思います。
大学入りたての頃は中高に戻りたい!って思ってたけど、変わったな私